器が大きい人はなかなかいない

器が大きいという言葉がある。一般的に小さいことに動じなかったり、いろんなことを許すことができる人を指す。
だが、これが履き違えて使われることが時々あり、ちょっと気になっている。

ただ怒らない人、気にしない人、鈍感な人を器が大きいと言うのは間違っていると思う。それは器が大きいのではなく、頭の回転が遅く、気がきかない人の可能性が高いからだ。本当の意味で器が大きい人というのは、よく気が周り、人の気持ちを的確に察知する能力が高く、多くの経験から広い視野を持ち、それゆえに過ちに関して無意味に咎めない。そんな人のことを言うのではないだろうか。

これは自分に対する戒めでもある。最近ものごとが大したことないと思えるようになってきて、なんとかなるから大丈夫とどっしりすることが増えた。歳と共に少しは見識が深まったのかなと思ったりしたが、実はそれは自分にとってそれがどうでもいいことだから、大したことないと思っているだけで、自分にとって大事なところについては未だにピリピリしてしまうところがある。結局たいして器は大きくなっていないんだなと気づいた。うぬぼれないように気をつけよう。