あなた惜しいわね

思い返してみれば10年くらい前からなんだけど、定期的に「惜しい人間」と言われることがある。同じ人にじゃなくて、全く違う人からそう言われる。
顔であったり、雰囲気であったり、その時々で惜しいと言われる部分は違うけど10年も言われ続けるとだいたいわかってくる。僕は「あとちょっとで素晴らしい状態になる」と言われているのだ。僕はこれ言われる度に「それよく言われるわぁ笑」とか言って自虐話のひとつふたつを出す余裕を見せるけど、実は傷ついているんだ。
こういう場合の惜しいっていうのは、ポジティブにもネガティブにも捉えることができる。ポジティブに捉えるには、あとちょっとが手にはいれば完成できる!と考えればいいだろう。何もかも不足している人は惜しいとは言われないわけで、惜しいと言われる時点でいくつかいいところはあるということだから。
だが僕はやっぱりネガティブに針が振れてしまう…。あと少しの何か。それがわからない限り僕はくすぶり続けるし、中途半端に希望があるだけに、手に入りそうで入らない苦しみがそこにはある。

でも、もうひとつ別の考えもあって、惜しい人っていうのは、何かを埋めるために動くんじゃなくて、足りてるところをさらに伸ばしていくことが必要なんじゃないかということ。惜しい人は「それなりのもの」をより広い範囲で多く集めてきた人なのではないか。何かひとつ得意なことがある。っていうことがやはり大事なのだな。

と、思うことは思うが、僕は今の自分を愛したい。